一緒になにかやろうって気持ち

すごいわかる、この気持ち。

いろんな人と話せて、多くのことを教えてもらえて、自分には無い物を見せてもらえて、すげぇすげぇって話しながら心の中で思ってて、でもって、そんな人たちが自分に好意を持ってくれたりして、ありがてえ、ありがてえって思って、


だけどさ、そういうのがとても嬉しかったんだけど、そんな彼ら彼女らと話しているのが楽しければ楽しいほど、「自分には何もないなぁ」と悔しい思いが強くなってくるんです。
何か、いいものを - Attribute=51

いろいろ話してると本当に楽しくて、いろんなヒントとかをくれる人が友達にも先輩にも後輩にもいっぱいいます。じゃあ、それに対して僕がなにかあげられてるかっていうと、うーん微妙ですね。

こいつ俺と話してて楽しいのかなとかね。ほとんどid:guri_2さんと同じだw


で、ここで思い出すのが、昨日のエントリのブログカンファレンスのメモにも書いたんですが、

自分の当然が他人の当然とは限らない

という言葉です。
きっと、多くの人は自分に自信がありまくるわけではなくて、どこかで、こんな自分でいいのかなとか思う部分ってあるんじゃないですかね。でもその中で、例えば飲んでる場だったら、一緒に楽しく飲みたいし、勉強の場だったら、一緒に何か身につけたいと思ってるからこそ、目に見えないgive&takeがあるんじゃないかなって思うんですよ。


自分だけが得するようにでもなく、他人だけが得するようにでもない、一緒になにかやろうって気持ちがあればそれで大丈夫なんですよ、きっと。それさえあれば、だいたいうまくいくんじゃないかな。


もちろんだからといって、自分が成長する努力を惜しんでもいいかっていうと、そうじゃなくて、自分の成長の先に一緒にいて楽しい人とかっていう姿があるんだと思います。
こうやって考えると、自分がなんで成長したいのかって、誰かと一緒にいておもしろい人になりたいからなんじゃないかって気さえしてきて、なんかうけるなーそれと思ってしまいました。