W杯メンバー発表しましたね

5月10日現在で観測範囲内の、2010W杯日本代表メンバー発表関連ニュースの簡単なまとめ。内容がかぶってるものは割愛。
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んで、感想。
川口の選出は確かに驚いた。矢野にも少し驚いたかな。僕の予想では、矢野ではなくて田中達也だった。
今後の強化について守備面を中心に語っているのを見て、ここんところの代表の不調、失点の多さから、W杯を前にしてビビり始めてるんじゃないかと感じた。なんだか、98年のデジャヴ。これで守り固めて、セットプレーとカウンターで何とか勝ち点取ろうみたいなサッカーをするとしたらガッカリ感はMAX。個人的には、まだまだ世界の中で見れば弱小なんだからビクビクせずに思いっきり行ってくれよと思う。98のW杯のときに、そういう悔いは残らなかったんだろうか。いろんな意味で驚かすサッカーを見せて欲しい。
(追記)こんな気になるニュースも
4度目のW杯は絶望的…川口、右内転筋故障(サッカー) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース

勝間vsひろゆきの話について雑感

もうほとぼりが冷めたあたりで

勝間さん対談の睡眠不足の反省と、幸福論 : ひろゆき@オープンSNS

ってことで、
日本人の幸福度を上げたいんだったら、
「お金が無い=不幸」 みたいな考え方を
他人に強要しないほうがいいと思うんですよね。

どんどん社会が多様化していく中で、こうすればこうなるみたいな単純化された言説は疑った方が良いんだよね。今回、勝間さんがバッシングされたのって、上から目線のあの態度ももちろんみんなの気に障ったとは思うんだけど、それよりも若者は元気であれみたいな提言をうざいと思ったってことが強いんじゃないかな。
多分、僕も含めた若い人たちは、みんなが自分なりの幸せを求めるようになってきたことによって、押しつけがましい意見を嫌悪するんじゃないかと思う。まあ、これを着ればあなたもセレブ気分みたいなメディアの言葉には簡単に踊らされるけど。だから、お前らにとっての幸せはこういういものなんだ!って押しつけられると、イヤイヤイヤイヤ!ってなる。逆に考えると、メディアとかに斜め横あたりから、こういうのって良いよね、流行るよね、って言われれば割とスッと流れやすいってのもある。
だから結局今回の勝間さんは、そういう何となく若者に漂うそういった傾向をつかめてなかった時点で、テレビに出てひろゆきさんなんかと話しちゃいけなかったんだよ。

“聞き上手”の法則―人間関係を良くする15のコツ

<聞き上手>の法則 人間関係を良くする15のコツ (生活人新書)

<聞き上手>の法則 人間関係を良くする15のコツ (生活人新書)

この本で主張されていることを一言でまとめると、「相手が気持ちよく話を続けられるように (p37)」ということだと思います。誰かの話を聞くときに、相手の話を遮ったり、求められていないアドバイスをしてしまったり、相手より優れていることを見せつけようとしたりということは、誰しも少なからず経験があることかと思います。こういった言動は、無意識的に行われてしまうことが多いため、意識的にそうならないように注意する必要があるでしょう。
そこで筆者は、

「無能になって聞き、無知になって教わる」(p62)

ということを心がけるべきだと主張しています。こうすることで、「聞き手が有能感をだそうと (p53)」することも防げます。
また、この心がけは聞き手にとっても大変重要です。なぜなら、こうすることによって自らが学ぶ機会を設けることができるからです。「無能になって聞く」ことによって、たとえ自分が知っていそうな事柄であっても知らない可能性を考えて聞くことができ、それが新たな気づきを生むということです。
先日tumblrかなんかで、「相手の話を早く終わらせたかったら、遮るよりも話させた方がいい」みたいな言葉が流れてきましたが、まあその通りなんだと思います。相手に気持ちよく話してもらうことは、結果的にはwin-winな関係を生むことにつながるということですね。

入れ込まない、気合い入れない、やる気出さない

入れ込んじゃダメなんですよ、きっと。
以前、タモリさんbotの「やる気のあるものは去れ」というtweetに結構感銘を受けましたよ。
気合い入っちゃうと周りが見えなくなるから、適当に力が抜けてるぐらいが良いんだと思います。
結構どんなスポーツにも共通すると思うんですけど、力の抜き具合を知るところからが成長の始まりなんですよ。
だからこれからも、気合いも入れないし、やる気も出しません。

<がんばりようがある、ということ。> ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラムを読んで

<がんばりようがある、ということ。> ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラムを読んでの感想です。
ほぼ丸々引用になってしまいますが、とりあえずこんなこと書いてありましたよ。

たぶん、「がんばりようがある」とわかれば、
みんな、なんとか、がんばっちゃうんだと思う。
「がんばりようがない」というときが、
いちばん、じつは、くるしいわけで。
なんだかわからないけど、
とにかくこれをやっていればいい、
ということを知っている人は、いいなぁ。
「がんばりようがある」場をつくる。
「がんばりようがある」時間をつくる。
それが思いつかなかったら、
こどものようにあそんで、
とにかくじょうぶでいよう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なんとなく、いまの日本にただよっている
「重苦しさ」って、
誰かに、どうすればいいのかと
教えてもらえないような気がするんですよね。
そういう時代だよなぁ、と考えながら、
上のようなメモを書いたおぼえがあります。

うーん、概ね同意です。がんばりようがあると思えるからがんばれる、これは結構真理な気がします。最終的にはリーダーシップって、ここにあるように『「がんばりようがある」場をつくる。』というところに帰結するんじゃないかとも感じます。
でも最後の「重苦しさ」に関しては、かなり疑問です。この話の流れ的にも、実際の日本社会的にも、日本の重苦しさは「がんばりようがない」ということじゃないんですかね。僕は割と楽観的だから、まあがんばればなんとかなると思ってますが、多分いま色々と騒がれている社会問題などは、「がんばりようがない」と感じるところに起因する問題が多いんじゃないんですかね?がんばってみたところで結果は見えてるし、と考える人が結構多いんじゃないでしょうか。だから、文中にあるように「誰かに、どうすればいいのかと教えてもらえ」たとしても、んなん分かってるしそうしたいのは山々だけどできないもんはできない、と結果的になってしまう。
だからこそ、『「がんばりようがある」場をつくる。』ということが色んな場面で必要になってくるし、そのような場をデザインできる人間になれたらいいなと僕は思いますよ。

国母選手の問題について考えたこと

もう騒動がいい加減落ち着いたあたりで、遅ればせながら今回の騒動を通じて日本という社会に対して思ったことを簡単に書いてみます。
感じたことは大きく分けて2つあって、1つは画一的な生き方をしろというプレッシャーが強い社会だなということと、もう1つは個人の失敗に対して非常に了見が狭い社会だなということです。これは、初めて感じたというよりも、改めて感じたという方が近いです。

画一的な生き方をしろというプレッシャーが強い社会だと感じたことについて

今回の騒動は、みなが横並びで、同じ格好をして、同じように考えて、同じように話す、ということを望む社会からのプレッシャーが顕在化した騒動だと思います。確かに、彼の着こなしは公の場にはふさわしくないものだったかもしれません。しかし、問題となったのは開会式の場でもないし、少ししかテレビに映らない空港での出来事です。あれって、公式の場なんですかね。そもそも、現地に移動するための空港でのシーンが映らない選手だっているわけで、それを公式の場と捉えるかどうかは人によって分かれるものじゃないですかね。スポーツマンらしくなどという意見が出ていましたが、服装のような問題よりも、競技に対する気持ちの持ちようからしてスポーツマンらしからぬスポーツマンなんて他にも山のようにいるでしょう。体調管理を怠るスポーツマンなんて、服装が乱れることに比べれば圧倒的にスポーツマンらしくない。そもそも、なんで世の中にとってのスポーツマンというのは、清廉潔白で爽やかというイメージなんでしょうか。そういうイメージ自体が下らないとしかいいようがない。
ホリエモンはブログで、

寛容派にとって服装とは自己表現の道具であり、保守派にとっては服装はその人の社会性を表す道具なのでしょう。
表現が自由だと思えれば、社会性を表すのもまた自由だとして理解できるでしょう。
自分のパフォーマンスを表現しようとした国母選手も保守派の意見だって理解してるかもしれません。
「おめーらの言うことはわかるよ、ごめんな、でもそれってくだらなくね?」という感情の表現として、正しい会見をしたと思います。
ただ、原理主義派には全くの理解不能、意味不明でしょうね。

という読者からのコメントを載せてましたが、僕もくだらなくね?と思います。

個人の失敗に対して非常に了見が狭い社会だなと感じたことについて

今回の騒動を彼の1つの失敗として捉えるなら、そのたった一度の失敗に対して非常に了見の狭い意見が多かったですね。
誰でも失敗はします。しかし、その失敗から何かを学び取って次に活かそうとするのが人間であり、そのような機会を設けてあげるのが大人の役割なんじゃないでしょうか。それを、一度の失敗をあげつらい、社会から排除しようとするプレッシャーの強い日本社会は本当に了見の狭い社会ですね。なんで、次から公の場に出るときはふさわしい格好をするようにしよう、というアドバイスをするだけで事が済まないのでしょうか。そういった小さな失敗をした人を世の中からどんどん排除していくと、世の中からは誰もいなくなってしまいますよ。残るとしたら、失敗を恐れて何もしない臆病な人間だけです。
極端な言い方をすれば今回の騒動を通じて若者は、自分たちの未来は、高齢化が進む社会の中で新しい様々な考え方を受け入れようとする努力さえしない年長者たちに、狭苦しい生き方を強いられるのだなという、今まで以上の強い閉塞感を感じたのではないかと思います。事実、少なくとも僕はそう感じました。日本の未来に希望を持てない若者がいることは、こんなことが大問題になる社会なんだからそりゃ当然でしょう。

この4連戦で日本サッカー界にとって良かった2つの傾向

この4連戦、代表チームの戦績はかなり不満の残るものでしたが、一方で日本サッカー全体を考えたときに、良い傾向だなと思える点が2点ありました。それは、観客の入りにバラツキがあったことと、ブーイングが出たことです。なぜ、この2点が良い傾向と言えるのでしょうか?

なぜ、観客の入りにバラツキがあったことが良いことか

これまで代表の試合といえば、スタジアムはほぼ満席という状態でした。たとえ相手が、2軍メンバーで試合前日に来日して、次の日秋葉原で遊んで帰るというようなチームでも、たとえ試合が間を埋めるために組まれた目的の見えない試合であってもです。これは、ある意味で異常と言えるものでした。
しかし、今回の4連戦でしっかりとお客さんが入ったのは韓国戦のみ。それ以外の3試合は、かなりまばらな観客の入りでした。これは、お金を払うならそれなりの試合を見たい、それなりの試合にはそれなりの対戦相手が必要である、ということが意識として多くの人に上がってきたということの現れなのではないでしょうか?この傾向が今後も続けば、サッカー協会もそれなりの相手を呼んでくる必要性を認識し(本来は強化のために元々必要なはずなんですけどね...)、よりよいマッチメークをするようになるかもしれません。

なぜ、ブーイングが出たことが良いことか

これも上の話とほぼ内容は同じになるのですが、これまで試合内容が不甲斐ないモノであっても、試合後のスタジアムの雰囲気はだいたい同じという状況でした。代表戦のチケットは、普段のJリーグのチケットよりも割高です。せっかく高いお金を払って見にいったのにつまらない試合を見せられたらたまったもんじゃない、というのは本来当然の反応だろうと思うのですが、これまではそうではありませんでした。しかし、今回内容も結果も散々なものであったため、ブーイングが起こるという事態になりました。
僕は消極的岡田監督続投派です(参考:岡田監督の解任論について)が、さすがにベネズエラ戦の試合後のインタビューで岡田監督が「この試合は、キャンプ中に行った大学生との練習試合と位置づけ的には同じである」という趣旨の発言をしたことには、開いた口がふさがりませんでした。あの試合は、まがいなりにも国際Aマッチです。お客さんは、数千円を払って見に来ています。それを大学生との練習試合と同じだなどと言われたら、たまったもんじゃりません。それなら、あんなでかいスタジアムでやらずに適当な練習グラウンドでやってればいいのです。
もしこのまま、不甲斐ない試合には容赦なくブーイングを浴びせる、もしくは試合途中で帰るという風潮が広まれば、このような発言もこのような試合に臨む姿勢もあらたまるのではないでしょうか。それはすなわち、しっかりとした準備をしてどんな試合でも本気で戦うということにつながります。そうすれば、多少対戦相手が適当なチームでも試合には張りができ、結果的に良いテストになります。

このように、この2つの傾向が今後も続くとすれば、それは日本サッカー界にとってプラスにつながるものだと思いますので、どんどんやって欲しいと思います