自由をつくる自在に生きる

自由をつくる 自在に生きる (集英社新書)

自由をつくる 自在に生きる (集英社新書)

大学などでたまに、「就職したくない、学生のまま自由に遊んでいたい」と言っている人を見かけることがあります。これは言ってる本人に真意を確かめたわけではないけれど、大学時代であれば、もちろん人によるけれどもある程度は親を頼れる。親に学費なり食費なり家賃なり小遣いなりをもらっていれば、あとはバイトを適当にするだけでそれなりに楽しく生活することができてしまうんですね。きっと、自分の通っている大学の学費が年間いくらぐらいかかっているか知らない学生は、少なくとも半分以上はいるだろうと思います。僕はどちらかというと早く働きたいと思ってる方だったし、むしろバイトなどではなく社会人として働くことで得られる自由の方がより自由だろと思っていたから、こういう風に考えることはあんまりなかったです。
とまあ、こんなことを本書を読みながら思い出しました。
本書で述べられている主張を端的に表しているだろうと思う部分は以下です。

まず、この支配から「抜け出す」というイメージが問題だと思う。「支配」という言葉を使っているから、自然にそこから「逃げる」という表現になってしまうのはしかたがないにしても、そういった後ろへ下がるイメージは不適切だと感じる。
実は、もっと積極的な方向なのだ。逃げて遠ざかるのではなく、そちらへ歩み寄る、近づく、乗り越える、といった方が良い。

そう、自由になるというと、どこか何かしらから逃れてすることがなくなったような状態を思い浮かべることが多いと思うのですが、そうじゃない。多分それって、天国を思い浮かべてるんだと思うんですよね、簡単に言えば。天国というと僕は、雲の上でみんな水色のローブみたいなのを着て、自由に何にも縛られることなく生きるって感じをイメージしちゃうんですけど、多くの人が考える自由の究極の形ってこれなんじゃないかなと思うんです。でも本書では、自由とはそういうものではないと主張しています。

結局、自由を手に入れるということは、そういう「できる自分」を作り上げることであり、自分の変化を積極的に推し進めること、といえると思う。

何かしら自分が自由にできることの障害となっているものを取り除くために努力することで、訪れるものこそが本当の自由だということです。そういえばこれに関連して思い出したのは、最近はやり(?)の「自分探し」です。「自分探し」というのは、何かに能力を発揮できたり輝くことのできる自分が、探せばどっかにあると思ってるからやることですが、本来そうじゃなくて「自分」とは、積極的に変化することで作り上げていくものですよね。誰かが用意してくれてるわけじゃないんだから、探して見つかるものじゃないわけです。この「自分探し」と、何かから逃れて自由になると考える自由はどこか似ている気がします。

とまあこんな感じで、夢想する自由というものを、打ち砕いてくれる痛快な一冊です。