日経新聞特集「知が危ない ―学びの今」を読んで

3月2日の月曜から3月6日の金曜までの朝刊に、「知が危ない」という特集が組まれていました。
以下、1回目から5回目までの各回を要約

第1回:コピペ横行 論文消えた ― 熟考忘れた社会
論文など様々な文書をネットで自由に売買できるサイトが活況を呈している。
深刻な活字離れが目立ち、読んだとしても即効性の有無が読書の基準になっている。

第2回:目先優先 減る留学 ― 異国見ない若者
留学支援団体の説明会に参加する現役学生は、保護者同伴で本人はうわの空。
慶應の常任理事は、留学より就職という学生の安全志向に「国際社会のリーダーになれない」と訴える。
異国への興味の薄さが映画興行にも影響している、との見方もある。

第3回:理科離れ 負の連鎖 ―次世代に伝承難しく
工学部の不人気が若者の理科離れを象徴する。子供達の理科離れは鮮明だ。
小学校の担任の約五割が理科に苦手意識を持ち、理科嫌い教員が理科嫌いの子供を育てる。
危機感を募らせた科学者らが、子供向けに観察・実験教室を開くなどして、科学的志向の育成を図っている。

第4回:目標見失う高校生 ―学ぶ動機 あいまい
推薦入試で大学に合格した学生、「二月まで勉強したくないし、楽して行けるほうがいい」。高校一年で約六割、三年でも約四割の生徒が平日ほとんど勉強していない。就職を目指す高校生には、景気の急変が暗い影を落とす。
子供が主体的に学習に参加する機会が重要で、その一つのモデルが企業に実習できる職業高校だ。

第5回:若手の基礎学力低下 ―企業・大学 支援に躍起
ある企業の執行役員は新入社員の「学力テスト」結果に言葉を失った。企業トップは、社の将来を託す若手に不安を覚えている。分からない問題に直面すると、すぐ答えを求め、考え、調べるという学習習慣が身についていない。
送り出す側の大学は、補習対応を行っている。ある大学の教授は、「大学の責務」として「自らを成長させ、企業や社会が求める人材を送り出す」ことだとか考える。

という感じです。結構はしょってあるので、興味のある方はどっかで全文読んで欲しいです。

相反するものを求められている

肌感覚でいえば、同意できる部分とズレてる部分がありますが、定性的な意見になっちゃうんでそれは置いといて、こうやって並べてみてみると「二兎を追う者は一兎をも得ず」な状態になっているように感じます。
「第1回の熟考忘れた社会」では、即効性を追い求めるだけではなく、深い知識を得るための勉強を進めるべきだという意見が載っています。それに対して「第5回の若手の基礎学力低下」では、企業や社会が求める知識が足りないということで、実社会において役に立つ即効性のある知識が足りないという意見です。

若者のみが批判の対象なのか

自分の趣味とかの場合を除けば、何が求められるのかという視点でもって勉強するのは当然でしょう。そうであれば、即効性のある勉強に学生が走るのも、社会から求められている結果です。僕個人の視点で見れば勉強不足を反省するべきだと思いますが、全体で見れば若者単体が批判されるべきではなく、そういうものを求めた社会も批判の対象となるべきであると感じます。

求められるのは、自分の論理を組み立てること

熟考が何を指すのかイマイチ分かりませんが、ググれば何でも出てくるようになった中で求められることは調べられることではなくて、自分の頭で考えて論理を組み立てることができるかなんだと思います。ソフトバンクの孫さんは、あるインタビューの中で入学試験はネット使用可にするべきだとも言っています。

Mentor Diamond - メンターシャワー - グレートメンター 孫正義
これだけインターネットが普及して、誰でも検索すればその場で情報が取れる状況下では、僕はもう暗記をしても意味がないと思うのです。 僕は大学だけではなく、高校の入学試験もインターネット端末を持ち込み自由にすべきだと。

就職試験でエントリーシートのように面接の前に文章能力を求められるのも、要は自分の論を組み立てられるかどうかを最低基準としたいということだと思います。就職試験でそういうものを求められて苦戦するのも、それまでずっと暗記力が最優先だった勉強をしてきた結果だろうし、教育はいち早く暗記型から自分なりのアウトプットを求めるものに変化する必要があると思います。