本気で何かを達成したいと思っている人を応援すること

朝、軽くランニングしてたら、昨日読んだこのエントリがなんとなく気になり始めて、なんか腹が立ってきた。

「ほら、シューカツマッチョみたいなのいるじゃん」

「マッチョてwいますね確かに」

「彼ら、"日本を活性化したいです!"とかマジな顔して言うんだよ。怖いよ」

「同感です」
「74冊読みました」の面接官にブログがばれた→(中略)→ワインおいしいです\(^o^)/ - ミームの死骸を待ちながら

僕は"日本を活性化したいです!"とかマジな顔して言うメンタリティを、揶揄するようなメンタリティに腹が立ってきた。確かにシューカツマッチョみたいなのはいるし、10人中8人とかはそうかもしれない。でも残り2人ってのは、心底そう思ってるかもしれないし、日本を活性化しちゃう可能性があるのはその2人でしょ。その2人に賭けてやれないの?
その2人を見抜けないから仕方ないという人もいるけど、シューカツマッチョで面接用にそういう言葉を用意した軽薄な学生を、社会に出て数年経ってるんだったら見抜けてくれよと思う。
僕は今就活中だけど、今僕らが出て行こうとしている社会は、本気で日本を変えたいと思っているような人たちを揶揄するような社会なんですか?
僕もid:Hashさんと同じく将来やりたいことはまだよく分からないし、今の時点で明確に分からなくてもいいやって思ってる。日本を活性化したいというようなことを言うつもりもない。でも、いつか、フィールドの大きさは別にしても自分が大切だと思うものを、日本を活性化するのと同じようなレベルで追求したいし、大きなビジョンでもって夢を語る若者を応援できるような大人になりたい。

現時点でウィキペディアだけ見て感想を言う人は「こんな駄目なもので・・・・・・」となるんだけれど、ビジョナリー志向でモノを考えようとする人は、これは何かの「芽」に違いないと考える。
ITの世界には昔からずっと、こういう何かの芽は大きな筋として正しければかならず育つんだという確信がある。シリコンバレーで僕はそれを学んだ。日本には存在しない感覚であり、それが良き大人の態度なんです。筋でよいけどまだ小さい芽に対して、欠点をあげつらって近視眼的に叩くようなことを言えば、言っているとき少し利口に見えます。でもいずれ必ずしっぺ返しを喰う。そういう確信を大人がきちんと持っているということなんですね。
フューチャリスト宣言 : 梅田 望夫, 茂木 健一郎