変化を受け入れること。不便さという便利を享受すること。

変化を嫌うということは、退化を受け入れたということだと思う一方、不便さという便利を享受したいとか思ったりするんですね。
「変化を嫌うということは、退化を受け入れたということだ」というのはどういうことかというと、
なにか今までにない新しいものが出てきたときに、前の方が良かったとか、新しくなったことで使いづらくなったとか、変化したことに対してネガティブな反応を示す人がいます。まあ、気持ちとしては分からなくもないものの、世の中には完璧なものなんて存在しないし、企業も人もより良いものを求めるものなので、新しくなるということは必然なんだと思うんですね。

もっと言ってしまえば、「進化しない=退化する」と思ってます。骨折とかしたときに、同じ体勢でずっといると床ずれを起こしてしまうように、そのままでいようとするとそれ自身はむしろ悪くなってしまうわけです。世の中はどんどんと変化していくものだから、それに合わせて進化することで初めて変わらないという評価を得られるということだと思います。そう考えると、進化の中に本質があるという風に考えることが出来ます。常に変化していく中で、自分っていうものが見えてくるんじゃないですかね。

その一方で、不便さという便利さを享受したいというのは、例えば僕は一時期iPhoneを買おうかと考えましたがやめました。windows mobileなんかも考えましたが、それもやめました。なんでかって言うと、確かにそれらを使うことで瞬間的には便利になるのかも知れないんだけど、そういうものに拘束される時間が長くなるということなんですよね。例えば、携帯電話のなかった時代というのは、相手の家に電話して伝言を残すなりしても、数時間以内に電話が返ってこない可能性っていうのは大いにあったわけです。今は、数時間以内に折り返しの電話が返ってこないと、あいつは何をやってるんだってことになる。メールも同じです。

仕事や自分のしたいことを前に進めようとすると、1時間や2時間集中する時間というのは何度か必要になってきますよね。スマートフォンとかネットブックとかが広まることによって、どんどん早いレスポンスを求められるようになって、2時間集中してるわけにはいかなくなっちゃったりする。これでは本来自分が集中するべきものに集中できずに、なにかに対応するというリアクションだけで1日が終わるという事態になってしまいます。それではいつまで経っても、なにかに近づいていくということは出来ないと思うんですよね。

だからこそ、不便さという便利さを享受したいと思うわけです。一見、変化を求め続けるということと、不便さを受け入れるということは相反することのように感じられますが、自分が前に進んでいくためには等しく必要なことなんですよ。