どこにいるかよりも、なにをしたか

「文系は論理的思考力がない」「理系はコミュニケーション力がない」という偏見:IT&ウェブ業界の転職をサポートする「CAREERzine」(キャリアジン)

確かによく聞きますね、こういう話。
僕の体験談じゃないんですが・・・
友人が就職活動で、グループディスカッションをすることになったんですね。お題が出されてGDがスタートします。考える時間がまず与えられて、それを発表しつつグループとしての意見をまとめていくという流れです。発表の段階で、あるメンバーが「想定される損益について計算をしたので聞いて欲しい」と言うと、他のメンバーが「データとか見ちゃうと意見が偏っちゃうので、最初にそういうのは見たくない」と言ったらしいんです。その他のメンバーも「そうだ、そうだ」という感じで損益についての仮説データは却下。気になった友人は、GDの終わり近くに、「せっかくなんだし、計算したやつも見てみようよ」と言ったらしいんですが、「いらないって、そういうの」とあえなくまたもや却下。GDが終わって帰るエレベーターの中、却下した人たちは「絶対あの人理系だよね。データとかいらないし。データとかあったって、楽しく出来ないじゃんね」と言ってたらしいんですね。

僕は文系だけれども、経営学部だから数字は扱わなきゃいけないし、論理的に筋道の立った思考も求められます。

つまり、学歴差別が大好きだけど、世間体があって露骨な物言いができない人が、最後に頼りにする差別の手段、それが「だから文系は…」「だから理系は…」という言い方なのです。

 一見、進路の選択やライフスタイルについて批難しているように見えるので、多少は差別感が弱まるのがポイント。露骨な文系批判・理系批判が表立ってされないのは、やはりその本質が差別にあるからでしょう。

まあ、学歴差別が大好きかどうかは別にして、東大・早慶以下の大学に通っていると就職活動なんかでコンプレックスを抱く人が結構いるなという印象で、ひがみにも似た感情の発露としてこうなっているという事もあるのかなと思います。

どちらにしても、文系か理系か、有名大学かそうでないか、という区別(差別?)は意味をなさなくなってきていて、そこに拘泥していては結局のところ、どちらにしてもなんも出来なくなってしまう。別にどの大学にいようと、色んな体験から多くを学んで来た人であれば、それが血となり肉となって価値を生むということだと思います。