自ら学び発見する力としての飛行機能力

なんか、勉強ができるとか学習とか色んな話が飛び交ってますが、よく分からないので気になった箇所だけ引用して、あとは適当に自分の思ったことを書きます。

勉強が出来る=頭がいい?
勉強が出来る=頭がいい
僕はそう思って生きてきた。
でも、そのことを否定する意見が多い。

404 Blog Not Found:勉強が出来る=何がいい?
それじゃあ、勉強が出来る人が何がいいのか。
頭じゃなくて、都合。
学校では教師にとって、会社では雇用主にとって。
(中略)
ところが、勉強してくれる人が日本だけでなくて世界中に出現するようになったら、「勉強出来る子」に渡す小遣いがほとんどなくなっちゃんだね。日本の子の1/10の小遣いで、日本の子の10倍勉強されたら、かなうわけない。

「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記
小学生のころの私は、国語も算数も理科も社会も、みんな新しい本のページをめくっていくような気持ちで楽しんでいた。
誉められるのはもちろん嬉しかったが、それ以上に、学べば学ぶほど、新しい世界が広がっていくことが楽しく、嬉しかった。
「勉強ができる」=「要領がよくて小狡いやつ」としか見ない人たちには、私が本や教科書の中に、どれほど豊穣で、愉快で、ときに苦しくて、哀しい世界を見ているか、伝えたくてしかたなかった。

「勉強ができる」ということは「努力し続ける力がある」ということ - ひがやすを blog
「勉強ができる」ということは「努力し続ける力がある」ということですよ。学生のときの勉強だけが勉強じゃない。
学生のころ勉強ができて、高学歴な人が、社会人になってぱっとしないということはあるかもしれない。その原因は明らかですよ。
社会人になって勉強しなくなったから、だめになってしまったのです。

ちょうど良い折に、思考の整理学 (ちくま文庫): 外山 滋比古という本を読んでいて、これに

人間には、グライダー能力と飛行機能力とがある。受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明、発見するのが後者である。両者はひとりの人間の中に同居している。グライダー能力をまったく欠いていては、基本的知識すら習得できない。何も知らないで、独力で飛ぼうとすれば、どんな事故になるかわからない。
しかし、現実には、グライダー能力が圧倒的で、飛行機能力はまるでなし、という"優秀な"人間がたくさんいることもたしかで、しかも、そういう人も"翔べる"という評価を受けているのである。
p.13

ってところがあって、
さきに引用した4つのうち上2つは、グライダー能力のことで、下2つは、飛行機能力のことを言ってるから、話が噛み合わないのも当然のことだと思うんだけど、どちらにしても、グライダー能力では飛べない時代が来ちゃったってことなんだよね。

たぶん、以前は飛行機能力があることがアドバンテージになる時代だったんだけど、今は飛行機能力がないことがディスアドバンテージになる時代なんだよ。
グライダー能力はもちろん身につけなきゃいけないし、努力し続ける力ってのも必要だよね。でもそれは、もの凄く基本的な能力、あって当たり前としか思われない能力になってしまってる。
そのうえで、自分なりに咀嚼して応用していくことが求められるんだね。
だからこそ、勉強もしくは学習するには、アウトプットがイメージされてないといけないんだと思う。また、他人からどれだけ盗めるかってのも大事な要素になると思う。ただ、本を読んで勉強したり、セミナーに通ったりするだけではなかなか追いつかない部分もあるだろうから、自分の成長に役立ちそうだと思えば恥を忍んでどんどん盗んでいくべきだろう。
そういう気持ちが飛行機能力を作るんだと思う。