「私塾のすすめ」を読んで考える - 2

数日前に書いた「私塾のすすめ」を読んで考える - 1の続きです。

自分をさらすこと

p.127
齋藤 「自己評価」ということについて言えば、今の人たちは自分をそれなりに尊重していて、自己評価が必ずしも低くはない人が多いわけです。その一方で、他者からの評価を受け止める腹というか、自分の身のさらしかたという点で弱さがある、つまり、他者からの評価と自分自身の評価をすり合わせるのにあまり慣れていないという感じがします。
学生を見ていても、人の前に出て自分をさらして何かをやるということに対して消極的であることが多いですね。

これは、消極的な面も確かに大きいのかもしれないけれど、客観的な評価が下せていないという面も少なからずあると思っています。何をもって自己を評価するかという話になりますが、以前にも評価は他人が決めるものというエントリにも書いたように、自分はこういう人間でこんなことが出来ると思っていても、それが他人に伝わらなければ意味がないし、結果として他者に目に見えるものになっていなければ、それは出来ていないのと同じだと思うんです。そう考えると、ある程度他者の評価をしっかりと受け止める必要があるのかなと思います。僕は以前、セルフリーダーシップというエントリで、必ずしも低くはない自己評価と他者からの評価のギャップを埋めることが、努力の糧になるのではないか、というようなことを書いたのですが、このようにしっかりと受け止めたうえでどうするのかを考えるといいんだと思います。

で、「人の前に出て自分をさらして何かをやるということ」についてで言うと、僕が所属している学部は人前で話す機会が多いのですが、これらは多くの場合自分の内面をさらしているわけではないので、意識的に内面を主張する必要があるのかなと個人的には思いました。

量が質に転化すること

p.129
梅田 「ノー」と言われることに対して弱すぎるんだと思いますね。
中略
人間が人間を理解するとか、ある人が何かをしたいと思ったときに、相手がきちんと受け止めてくれるということのほうが、めったにおこることでない。そういう事実を、ベースにおかなきゃいけないと僕は思います。
中略
数あたるということは、ほとんど「ノー」と言われ続けること。だけど、数あたれば、確率的にかならず「イエス」の人が出てくる。
中略
齋藤 ある一定量をこなさないと、質的変化がおこらないということを信じて、量をこなすということを、まず最初の課題にしていく。

これと似たようなことを何度か目にしたんだけど、どこでだったか忘れてしまった。でも、何かを創っている人たちっていうのは本当に多くのものを出して、いくつも出した中からやっといくつか評価されるものが出てくるというスタンスでやっている人が多い気がする。別に時間がないわけじゃないんだけど、時間がないとか言って2つか3つぐらいの案を出して満足したり、2つか3つ当たったぐらいでノーと言われてあきらめちゃうことって多い。1人ブレストみたいのを常にやってる感覚が必要なのかも。

もう結構な長さになったので、つづきはまた今度