「私塾のすすめ」を読んで考える - 1

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)を読みました。ウェブ進化論以降、梅田さんの本は全部読んでいますが、今までの梅田さんの本に共通する「未来に対するワクワク感」みたいのを正直感じることはできず、特に前半は、齋藤孝さんがこれまでの半生を振り返って、「僕はこれだけやってきた、これらはどうよ梅田さん?」っていう感じがしてしまいました。齋藤孝さんは、色々教育熱心なのはすごく伝わってきたんだけど、そういった色々な試みがどうしても自己満足な試みのようにこの本を読む限り感じられて、僕が受講者だったらキツいなーと。

僕はどちらかというと、梅田さんのスタンスの方が性に合ってる気がします。世の中に対してのべつまくなしに自分の考えを伝えたいというより、自分の言葉で伝えられる範囲内で自分の経験を伝えていこうというスタンスが好きです。そもそも齋藤孝さんのやり方は規模が大きすぎて、それじゃもう私塾と呼べないでしょうにと思わなくもないですし。

それでもいくつか齋藤孝さんの発言部分も含めて、これはと思うところがあったのでピックアップしたいと思います。

学習の格差

p.12
学ぶための条件が飛躍的に改善された今、学ぶモチベーションの強弱によって、学習の格差は拡がってしまう。

これは齋藤孝さんの前書きの部分です。僕はこの年で大学に行くことになったけど、別に大学に来なくとも勉強したいという気持ちと、どうやったらちゃんと勉強できるかっていう方法をうまく考えられれば、誰にでも学べる機会が以前と比べて飛躍的に伸びているのだと思います。現に大学に行ってないある友達で、すごく勉強熱心なやつがいます。そういう人は、大学でのほほんとしている人より、むしろ得ているものは大きいだろうなっていう感じがして、俺は大丈夫なのかと目を覚まさせてくれたりして素晴らしいなと思います。結局のところ、どこにいようと、どういう職業であろうと、肩書きなんかよりも意欲がモノを言う時代になってきたということなんだと思います。

「あこがれ」と「習熟」

p.85
梅田 やる気のない人にどうやってやる気をもたせるか、ということを改めてお伺いします。
中略
齋藤 端的に言うと、「あこがれ」と「習熟」が二本柱だと僕は思っています。「あこがれ」というのは、これがすばらしんだとあおられて、その気になってやってみるということ。もうひとつ「習熟」というのは、「練習したらできた」という限定的な成功体験だととらえています。

やる気とかモチベーションとかっていうと、何となく日々簡単に上下するもののことを思い浮かべるけど、ここでいうやる気とかっていうのは、そういう短期的なものではなくて、もうちょっと長いくくりで言ってるんだと思う。で、個人的にもここは気になる部分で、何か目標を見つけたり、具体的な目標が見つかってないとしても、何かしら頑張るようになるのって、どういうきっかけなんだろう。最初から、頑張れる人ってそんなに多くないんじゃないかと思うんですよね。あと似たような話で言うと、自信が身につくのってどのタイミングなんだろうってのが気になる。パッと見で、この人自分に自信持ってるなって人と、自信無いんだろうなって人って結構分かる気がしてるんだけど、そこの差ってどこで生まれてるんだろう。何をきっかけに変わったんだろうって思います。


以上、前半です。
後半にも結構面白いと思ったところがあったので、また日をあらためて書いてみます

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)