ハードルを低くすること

ハードルを低くすることって結構大事なんじゃないかなと思った。
どういうことかっていうと、新しく何かを始めるときや、新しい習慣を身につけるとき、今までにないチャレンジをするとき、最初のハードルって可能な限り低い方がいい。

今日友達と話してた例で言うと、「ある案に対して意見を言う場合は、単なる批判じゃなくて代替案を示すようにする」ということなんだけど、どうしても大勢で話してるときとか、意見を積極的に言えない人っている。熟考型の人もそうなんだけど、そういう人ってどうしてもその他大勢の中に埋もれてしまう。
で、そういう人にも意見を言ってほしいとか、もしくはそういう人の成長のためになるべく積極的に発言してもらおうとした場合、「代替案を示す」ってのはきっと少しハードルが高い。それがたとえ、「はっきりとした代替案じゃなくてもいいから、何かしらの提案をしよう」と言われてもやっぱりハードルは低くないと思う。こういう人たちには、まずは"大勢で話してる場において意見を積極的に述べれた"という成功体験を得てもらう必要があって、そのためには代替案はなくてもいいから、何かしら思いついたことを言ってくれで良いんだと思う。発言が多くなってきた段階で、じゃあ次からは提案も少し入れてみようかと、ステップを踏ませれば良い。

ハードルを越えれた人にとって、そのハードルってもう高くないから、まだ越えられてない人の気持ちを理解するのが難しい。でも、ハードルを越えられずにいる人に何かをアドバイスするときに、越えられた人目線じゃ全く説得力無いんだよね。大勢の人の前で話すということを例にすると、「人前で話すのって凄い楽しいことなんだよ。」って言われたって、引っ込み思案な人にとっては全く楽しさを想像できない。それよりも、「人前で話すのって確かに緊張するから、まずは友達数人を前に少しだけ話してみよう。それで、相手にもし自分の気持ちが伝わったら嬉しい気持ちになるかもよ」って感じで言われた方がやる気にならない?これでもまだもしかすると、ハードルは高いかもしれないけどね。

とにかく、自分が新たに何かに挑戦するときのことを思い描いてみたり、昔の自分を思い返してみることで、まだ越えられてない人の気持ちになって考えることができるはずなんじゃないかな。